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みんなのエッセイ

野良猫奮戦記 鳥越九郎

早朝4時、雨の音に眼がさめ、少し早すぎるなと蒲団の中でうとうとしていると、階段を降りる足音が。
「あれ、まだ4時なのに…」と思っていると女房の声。
「ねー、ネコの寝床にシートでもかけてやってよ!寒いしぬれたらカワイソー」という。

うちには2匹の飼いネコがいる。
10何年も一緒に暮していた老猫が死んでしまった後、生まれたての小さな子猫を知人から分けてもらった。
その時、一匹では親から離れ心細いしかわいそうだと、姉妹ネコを2匹もらって来た。

案の定親ネコは急にいなくなった2匹のネコを、気も狂わんばかりに何日もなきながら探し歩いていたという。
2匹の猫は1匹は全身が黒く顔だけが白いのに、そこにハナグロがある。
名前もハナグロと付けようとしたが、ひどい名前でかわいそうだという。

もう1匹はブチのサバネコ。だったら2匹に「ハナ」と「クロ」と付けることにした。
その子猫たちは、お互いに身体を温め、いつも一緒に寝床を共にしていた。
家の中から外に出さないよう、気を使う日々であった。
それがいつのまにか、女房と小生の寝床に1匹づつ必ず同棲するようになった。

その内、家の周辺に野良猫なのか飼い猫なのか判らないが、ヤセコケたり尾羽うちからしたような、うすよごれたネコが現れるようになった。一方毎日三度三度エサをもらい、厳寒の時も、清潔な環境の中で温かい布団とかコタツでウタタネのできる、幸せなハナとクロ。

尾羽うちからすようなヤセコケた野良猫、それを見かねてか女房が外のネコにもエサをやるようになった。
命に区別はない、と。
その内、外のネコは毎日、時間になると2匹3匹と家の前で待つようになる。
野生の気の強いコワモテのネコも、少しづつなじんで来るようになった。
女房になついてスリスリするネコもいる。頭をなでようとすると「フゥー」と毛を逆立て一目散に逃げるネコもいる。

ネコがネコを呼ぶのだろうか、1年もすると4~5匹が集まるようになった。
区別をするために名前をつけなければならない。
白と黒のブチは牛のホルスタインに似ているので「ホルスタインちゃん」、格好いい俳優のレオナルド・ディカプリオに似ているので「デカプリオ」など。 その他「シャチ」や、いつのまにか7~8匹が集まるようになった。

ところが、野良猫の悲劇は自動車にひかれることである。これまでに5匹くらいも家の近くの道路で犠牲になった。
ほんの数分前にひかれたのだろうか…
目の間の道路の側溝に倒れていた、まだぬくもりのあるネコの死体を小生は抱えてなでてやったこともある。


しばらくすると近所から、ネコの大群とフン害に苦情が寄せられるようになった。
動物を動物と思わず、邪魔者としか見ない人もいるのである。いじめられるのだろうか?
女房がいつもかわいがっていたネコが、いつどうして覚えたのか、物置の屋根づたいに2階のベランダと1階の屋根の間に寝床を作ったのだ。

恐らく、犬や敵対するネコは上ってこない。人間からもいじめられない。だから別荘なのか天国なのか。
幸せな空間なのだろう。自分と仲の良いネコだけには教えたのか、お客として招いたのか、「ホル」ちゃんもいつのまにか屋根とベランダの間に上るようになった。


それからしばらくして、突然デカプリちゃんは居なくなってしまった。
女房はかわいがっていたデカプリちゃんが自分に挨拶もせず居なくなってしまったことが受け入れられない。
余程さびしかったようだ。毎日毎日来るのを待っていた。どこかで自動車にひかれてしまったのか、あるいは誰かに拾われ幸せな生活を送っているのか、幸せであってほしい。何度も何度も小生に話をした。



2階の棲み家を教えてもらった「ホル」ちゃんはその後、他のネコにも教えたようだ。
小柄ながら腹が大きくなり、しばらく来なくなっていたうす黒色のネコが2階にも上ってくるようになった。
エサの食べ方も激しい。頭をなでようとすると「フー」と威嚇し逃げるが、どうしてもエサが欲しいようでまた戻ってくる。
「子供が生まれたんじゃない?」。女房の勘は的中した。


ある晴れた日の夕方、女房が2階のベランダに干していた布団を取り込もうとすると、ガラクタの置いてある片隅から「ミャーミャー」という声。「あら!?」とのぞいて見ると、何と子猫が4匹。
しかも小柄なうす墨色の母ネコは「フー」と命懸けで、必死で子猫を守っている。

子猫はやっと眼があいた程の赤ん坊。どうしてベランダまで来たのだろう。それを聞いた私はギョー天した。
親ネコは、どこか別な所で子供を産んだのだろうが、イヌや人間のイヤガラセなどを受け、何か身の危険を感じて避難してきたのではないか。それにしても、大人のネコでさえわが家の屋根に上ることは容易ではない。

見ていると、それぞれのネコは庭の端にある物置の屋根に思い切りジャンプをして飛び乗る。それからテラスの屋根に飛び乗り、それから母屋の屋根伝いに2階のベランダにたどりつく。物置の屋根まで は、高さは2m近い。
周囲に庭木があるのでそれによじ上り、物置に飛び乗る方法もあるのかもしれない。

それにしても、こんなに激しい道筋をどうしてコネコを連れてこられたのだろう。まだ子猫は歩くこともできないはづである。
しかも4匹もである。母ネコが身の危険を感じ、生命がけで1匹1匹口にくわえ飛び上り、乗り越えジャンプをくり返し必死でつれて来たのだろう。しかも4匹も。

小生は絶句した。どれ程大変だったか。よくぞケガもせず、無事に4匹を皆つれて来られたものだと。
「ごほうびにサシミでもやれ!」と女房に言った。次の日も相変わらずサシミをやっても「フー」と威嚇してくるという。

4匹に乳をやり疲れるのだろうか、母ネコは2階のベランダにコネコを残し、しばらくは下のエサ場に来て水を飲んだりのんびりと横になっていることもある。
そのあい間を見て2階のベランダの子猫を見てみると、寒さに4匹が体を寄せ合って寝ている。
床は木製で下から風が吹き上げる。

女房は母ネコのいない間に下にタオルを敷いてやった。
すると、半日もしない内に母ネコはタオルをひきずり出して放り投げてしまう。人間のニオイでもするのだろう。
気が気でない女房は、「風が吹きつけて寒いから、手すりに何か貼ってくれない?」と言う。
そこで、物置にヨシズがあったので取り付けた。
それから数日後、氷雨が降り横なぐりの雨であった。その早朝の雨の音に女房は私を起こしに来たのである。


うす墨色の母ネコに名前はなかった。そこで私は、2階に巣を作った功績をたたえて「二階堂」と名付けた。
2、3日おきに実家に来る2歳のわが孫娘も、子猫の成長を楽しみにしていた。
それから1ヶ月程過ぎた頃、女房は2階の子猫が歩き始めたら危ないと思い始めていたらしい。
屋根から落ちたり、母ネコが授乳を放棄する時こそ危険が待っている。ヨチヨチやっと下へ降りたとしても、今度は犬やカラスに攻撃される可能性がある。その前に下に降ろしてやろう、そして飼い主を探してやろうと思っていたようだ。

いよいよ実行しようと周囲に飼い主を紹介してもらおうと相談し、明日つれて来ると話したその日の夕方。
何とネコ達はコツ然と姿を消してしまったのである。母ネコはテレパシーを感じたのかもしれない。
母ネコは危険を察知し、また子ネコを1匹づつくわえ、危険を跳び越え、新転地へ引っ越したのだろうか。


その後もまだ母ネコだけはエサをもらいに来る。果して4匹の子ネコ達は無事に成長しているのだろうか。
私は女房にこう言った。「何、歩けるようになればつれて来るさ」と。

ほんとうに二階堂よ、子供たちを連れて来て欲しい。