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みんなのエッセイ

雑草の悲鳴 鳥越九郎

当り前のことを当り前のように続けることで感じることもある。
毎日のように会社の玄関前の掃除をしていると、おもしろいことに出くわす。

アスファルトの通路だから、さ程汚れることもない。
前の日あたりに風が吹くと、さざんかやサカキなどの葉っぱが青いまま飛び散っていることが多い。
これがくせ者である。ホーキで掃こうとすると、地面にぺったりくっついたまま、はがれない。
まして、雨のあとなど最悪である。
ふくらんだ葉の裏面が上になって落ちていると、ホーキがすべって、何度くり返しても動かない。


朝の始業前の10分位の間に30坪程度の通路を掃かなければならない。
なのに、10枚、20枚テンデに散らばっている。木の葉は掃いても掃いても動かない。
何か、今居る場所にこだわっているようにへばりついている。

ホーキの当て方をいろいろ変えてやっても動かない。
こちらが根負けして、指でとろうとする時など、突然ハラッと葉っぱが裏返ることもある。
すると表が上向きになるとホイホイとはけるようになる。
そのままずーっと表向きのものは、私に協力するようにスイスイと掃ける。
中には、何度目かで又裏返り、動かなくなる。
こうしたことを何度も体験してみると、これは従業員そのものなのかもしれないと思うようになる。


会社が職場を効率よく改善しようと、繰り返し 繰り返し対策を考えても、今の職場の居心地がいいとか、他へ
動かされると又、面倒なことが多くなるのがいやだと反対する社員。しかし、根気よく繰り返し 繰り返し説明をし、対策を考えると突然協力する人もでて来ることもあるし、「やっぱりダメだ」と又、もとへ戻る者もいる。時間よりも、繰り返し 繰り返し試して方法を変えて改善するのが、管理者の役目とすればホーキの使い方そのものである。

そして、やっと掃き集めた葉っぱやゴミは遠い所まで一個所に掃き続けるよりは、2~3個所に分散してまとめた方がてっとり早い。しかもいちいち毎日、ちり取りを持ってきて 、ゴミ捨て場まで持って行くのも時間がかかる。
そこで、考えた方法は雨水を一旦集める雨水溝。土管で大きな浸透槽へつながっているようだが、かなり深くて大きい。

そこで思いついた方法は、毎日の掃き集めたゴミをその雨水溝にはき入れてしまうこと。
2~3ヶ月経つと、さすがにゴミがたまるので、鉄製の溝フタを外してスコップで取り除く作業をする。
すると、雨水溝にはき入れた枝葉やゴミが腐敗して、何とたくさんのミミズが中に住んでいるのである。
全部カキ出してしまうと、ミミズの住み家をうばってしまうことになる。
しかもミミズは一生懸命生活しながら、ゴミの再生をして有機肥料を作っていてくれたのだ。
一時避難とか、緊急対応のつもりが、いつのまにか大きな生産事業に代わっていたのである。

何ということもない。会社経営も緊急避難や応急処置の中から新しい創造を生むことがある。
そのためにも、雨水溝のドブさらいのような定期的な点検や処置が必要なのである。


本格的な春が到来すると、アスファルトの端や建物とのスキ間に雑草の芽が出てくる。
雑草といえども厳寒の冬を乗り越え、雪や氷にも負けずに必死で生きて来た種である。
しかも肥沃な土の中に蒔かれた種ではない。
たまたまアスファルトのすき間に、耳くそのようなほこりや土が雨風などでたまっていたからこそ、芽生えてくるのである。

それを、掃除の時だと言って指でツマんで捨ててしまうのはかわいそうだ。
雑草だって生きているのだ。しかし玄関先の通路に雑草という訳にもいかない。

「せっかく生まれて来たのにゴメンネー」と言いながら、柔らかい感触の光るような雑草を引きぬいてしまうのだ。
「生命」とは何だろう。雑草の切ない思いと、人間に一生懸命世話をしてもらえる美しい花木や食糧用の植物と捨て去られる雑草の矛盾に、割り切れない思いが湧いて来る。これが人間の社会にも同じ現象が出ているのではないだろうか。

血スジや学歴などから差別を受けたり、いくら一生懸命働いても、会社の主旨に合わないとか、必死で生きるだけしか余裕がないのに排除される人々。人種差別など、雑草そのものではないか。
だがしかし、世間に甘えてはならない。アスファルトのすき間の中で生き続けるしたたかさと強さを、学んでほしいものだ。

「掃除」という作業は、何のしばりもなく、当り前の些事。
しかし、その奥に大きな感動と、発見があるのである。生きることや思いやりを教えてくれるのである。

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